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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

マッチやライターがなければ火さえ熾せなくなった現代人にとって、ゼロからものを生み出すなどということは至難の業でしょう。
もとより、ゼロからの創造などということは神ならぬ人間には不可能だと言ってもいいかもしれません。
レオナルド・ダ・ヴィンチやニュートン、ピカソやアインシュタインにしても、完全な独創ではなく、先人の業績やデータベースがあってこそ、「天才」になりえたのです。

そんな「天才」たちと「凡人」との間を分けているのは、どうやら知能やIQではなさそうです。
創造のためには想像力や好奇心が必要であるのはもちろんですが、まずなによりも感覚の力が不可欠なのです。
芸術はもちろん、科学もまた「美しく」なくてはならないようです。
「美しさ」を判定し、 そして創り出すことができるのも、感覚があればこそ。
センサリング・テクノロジーは創造性の基本なのです。

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