#02超能力はどうやって測るべきか

石川 幹人

◉明治大学情報コミュニケーション学部教授。工学博士。東京工業大学大学院物理情報工学専攻。メーカー勤務、新世代コンピュータ技術開発機構研究所を経て、1997年、明治大学文学部助教授、2002年より教授。2004年に情報コミュニケーション学部に異動。著書に『人間とはどういう生物か』(ちくま新書)、『心と認知の情報学』(勁草書房)、翻訳書に『量子の宇宙でからみあう心たち』(徳間書店)。

超心理学研究の拠点
ライン研究センター

他人が考えていることを読み取ったり、未来のことが予知できたりする能力は、一般に超能力と呼ばれ、本流の自然科学からは否定されています。しかし、「そんな能力もあるんじゃないか」と考える人も多く、完全に否定するまでには至っていません。時には「自称:超能力者」がメディアをにぎわせることもあります。もし本当に超能力があるのなら、こんなに魅力的なことはありません。
超能力の可能性を真面目に研究する学問が「超心理学」という分野であり、130年ほどの歴史があります。当初は交霊会を開催する心霊研究が主流でしたが、やがてより科学的な手法を取り入れた研究スタイルが確立されます。その立役者となったのが、アメリカ・デューク大学教授のジョセフ・バンクス・ライン(1895-1980)でした。彼は大学に超心理学研究室を開設し、5種類の簡素な図形が描かれた「ESPカード」を用いた実験を数多く実施しました。さらに、その結果を統計学的に分析することで、超能力の実証と研究の近代化に大きく貢献しました。

実験への乱数発生器の導入も超心理学から始まった。

◉実験への乱数発生器の導入も超心理学から始まった。

ライン教授が退官した後、「ライン研究センター」が設立され、この分野における世界的拠点となりました。実は私も2002年に大学の在外研究制度を利用して、このセンターに滞在し、最先端の超心理学研究に触れることができました。超心理学者となるための研修プログラムもあり受講したところ、その内容は大学院レベルの高度な内容で、過去の実験の批判と改善方法、先端的統計学に加え、哲学的な内容にも踏み込んだものでした。特に「懐疑論」について、多くの時間が割かれていたことが印象的でした。

 

Column 1
日本における「千里眼」の草分け

東京帝国大学助教授の福来友吉博士が、千里眼を持つという二人の女性(御船千鶴子、長尾郁子)を被験者として、1910〜1911年にかけて行った実験は、当時大きな反響を呼んだ。特に長尾郁子は未現像のフィルムに像を写し出すことができたという(念写の発見)。しかし、この研究は大きな批判にさらされることになり、福来博士は大学を去ることになった。近年、再評価の動きが高まっている。

懐疑論者との戦いで
実験の品質が高まる

懐疑論とは、超能力の肯定的主張を批判する議論のことです。超心理学の歴史は、懐疑論者との熾烈な戦いの歴史と言ってもいいくらいです。初期の頃は「それは奇術師のトリックにすぎない」と批判され、科学的手法が導入されてからは、「実験のやり方にずさんなところがある」など、重箱の隅をつつくような厳しい目にさらされてきました。まるで国際競争にもまれる中小企業がおかれた立場のようです。
しかし超心理学者はくじけることなく、批判があれば、それを改善するように工夫し、実験そのものの精度を高めていきました。時には不正を行った仲間の研究者を追放することもありました。こうして厳密な実験が開発され、強固な研究者倫理も確立されてきました。超心理学から生まれ、広く他の研究分野でも使われるようになった研究手法(ランダム化比較実験)もあります。過去には、懐疑論者から熱心な超心理学者になった人もいます。
一般には、超能力の実験と聞いただけで、いい加減なやり方をしていると思われがちですが、実際は徹底して「科学的な」アプローチを行っています。それこそ、社会的認知を得ている人文社会系の諸学問よりも超心理学は、はるかに「科学的」だと言えます。現在では、コンピュータを積極的に活用することで、人的なミスが少なく、誰でも手軽に先進的な実験が行なえる手法が多く生まれています。

 

Column 2
超心理学が対象とするもの

現代の超心理学では、「透視」「テレパシー」「予知」をまとめて、「ESP(超感覚的知覚)」と呼んでいる。これに「念力(PK)」を加えたものを、「PSI(サイ)」と呼んで、主な研究対象としている。したがって、これに含まれないUFOや雪男などは、研究対象からは外れている。

 

超能力研究の
構造的な難しさ

それでもなお「超能力と称するものは全てインチキである」という、強硬な懐疑論者との戦いは終わることはないでしょう。それは、この分野の研究が、はっきりと誰の目にも明らかな証拠を提示できない難しさに起因しているように思います。
自然科学は実験によって誰もが同じ結果を得られるという性質があって、ここまで発展することができました。こういう条件下では、必ずこれこれの現象が起きるから、このように理論化できるなど、理論を積み重ねていくことが可能です。しかし超心理学の実験は、全く同じ実験を繰り返しても、同様の結果が得られるとは限りません。不安定な人間心理がかかわるからです。時間をかけて得られた膨大なデータと、統計学的に分析した結果からようやく、限られた証拠が得られるレベルです。
テレパシー測定器のようなものがあれば別でしょうが、現実には理論を立てて、それに見合う実験手法を考案して、その結果によって地道に実証していくしかないのでしょう。
それに超心理学の研究者の数が、自然科学の研究者に比べ、圧倒的に少ないということも、なかなか思うような成果が上がらない理由のひとつです。

超心理学は心霊主義と
神の奇跡を否定する

超心理学と心霊主義(スピリチュアリズム)が同じカテゴリーのものとして扱われることがありますが、これは全く別物です。確かに、超心理学の研究者の中には、スピリチュアリストが多く含まれていますが、超心理学は、基本的には超能力を既存の物理学を拡張してとらえようと、日夜努力しています。

コンピュータを用いた予知実験。

◉コンピュータを用いた予知実験。

一方でスピリチュアリストは、いわゆる「霊魂の世界」を超能力研究の枠組みに持ちこんできます。テレパシーや予知能力は、霊魂が介在することで起こる現象なのだと、説明しようとするわけです。しかし、これを認めると「霊とはいったい何か」とか「霊の世界はどのようになっているのか」なども理論化しないとならなくなります。でも、その理論化の根拠は十分ではありません。「この本に書いてある」と怪しい心霊書を根拠に持ち出されるのも困りものです。
むしろ霊魂の世界など無くても、まだ知られざる知覚能力を仮定して理論化した方が、うまく超能力を説明できます。したがって超心理学をきちんと研究すればするほど、スピリチュアリズムは否定されていく傾向にあります。
同じことは既存の宗教に対しても言えます。奇跡の類は、宗教の教義では神によるものとされますが、超心理学では神の存在を必要としません。そのため欧米では、超心理学の研究自体をさせないよう、あからさまな圧力さえあります。その点、日本はよろずの神々の国ですから、そんな圧力がありません。逆に超能力の働きは東洋的な自然観と相性が良いくらいです。超心理学者の中には、東洋思想に注目している者も多く、日本という風土の中で、超心理学の研究が欧米とは違った形で進むきざしもあります。

隠れたがる超能力が
姿を現す日が来る?

堀場製作所の社是は「おもしろ、おかしく」だそうですね。確かに、同じ目標に向かって全員が心をひとつにしていると、無理だろうと思えた難題も実現できてしまうことがあります。逆にひとりでも乗り気でない人がいると、どうしても士気が下がります。超心理学の実験でも、懐疑論者が同席すると良い結果がでないことが多いのです。これは、スポーツの試合の応援と同じく、懐疑論者の反抗的な意識が、実験参加者に精神的な影響を与えているからと考えられています。超能力は、かなり人間的な働きなのです。
ふつう実験者は、期待外れの実験結果が出た時には、「これは実験装置がたまたま故障したせいだ」などと判断して、データを捨ててしまいがちです。しかし、そうした「おかしなデータ」こそが貴重な発見の端緒になります。そうしたデータでも積み上げていけば、何らかの意味が見出せることがあるのです。超心理学では、探究者精神を発揮し、一見関係のない実験結果同士を相互に参照して、メタレベルで分析を行う手法も取り入れています。

 

Column 3
スターゲート計画

1970年代からカリフォルニア州スタンフォード研究所で行われた「リモートビューイング(遠隔視)」実験。後にCIAや米陸軍からも研究支援が行われ、対ソ連用のスパイ活動への利用が研究された。1995年に公表された最終評価報告書では「一連の実験では統計的に有意な結果を示しているものの、諜報活動に有効なデータは得られなかった」と記述されている。

超能力は隠れたがる傾向があり、その存在を明らかにする営みには、ことごとく抵抗するという仮説があります。世界は既存の物理法則に基づいているとされますが、仮に超能力の存在が明らかになれば、物理学を大きく書き換える必要があります。「それは困る」という人々の意識が、超能力を隠蔽する方向に働いているのではないかというのです。ならば、大多数の人が超能力の実在を認めるような社会になれば、当たり前のように超能力の証拠が見つかるのかもしれません。先端的な科学技術を使った研究が、伝統的にオカルトとされてきた分野にも、このように光を当てるようになりました。絶えることのない人類の営みが、次々と新しい地平を切り拓いていくのです。