世界をリードする
日本の
バイオロギング研究
バイオロギング(Bio-logging)とは野生動物に、小型の記録計(データロガー)を取り付け、自然環境の中で動物がどのような行動を取っているのかを調査する研究分野です。これまで直接観察することが難しかった動物の生態を、測定データを分析することで明らかにしようというものです。最初はアメリカで始まり、80年代から日本でも独自に研究が行われるようになり、90年代に世界中に広がりました。まだまだ新しい学問ですが、実は日本は、この分野で世界をリードする立場にあります。第1回の国際シンポジウムも日本で開催されましたし、バイオロギングという名称自体、日本で名付けられたものなのです。その意味で、日本はバイオロギング発祥の地のひとつと言えるでしょう。
バイオロギングは水産系の研究で主に利用されています。というのも水棲動物が水中に潜ってしまえば、それ以上追いかけることはできなかったからです。アザラシやウミガメが水中でどのようにエサを取り、どのような行動を取っているのかを知ることは、研究者の長年の夢でした。バイオロギングによって、その夢が少しずつかなえられるようになりました。しかも、想像を超えた新しい発見をもたらしてくれたのです。
Column 1
データロガーバイオロギングの中核となる測定装置。野生動物に取り付けられ、温度、深度、加速度など、さまざまなデータを記録する。回収後にデータを分析をすることで、知られざる動物たちの生態を知ることできる。小型化がすすんだことで、取り付けられる動物の幅も広がっている。搭載するセンサーの種類が増えれば、新しい視点での研究も可能となる。
ウミガメは恒温動物、
ペンギンは変温動物?
理科の授業で、爬虫類は変温動物で周囲の温度に応じて体温が変化するが、鳥類は恒温動物で体温は一定と習いました。ところがバイオロギングによって、ウミガメ(爬虫類)とペンギン(鳥類)の水中での体温の様子を調べてみると、全く逆の結果が出たのです。ウミガメの体温は変化せず、ペンギンの体温はどんどん低くなっていく。教科書とは全く逆のデータを目の前にして、驚くと同時に、よく知られた動物たちの生態に、まだまだ未知の部分があるのだという事実に知的興奮をかきたてられました。
種明かしをすると、まずウミガメの雌は、産卵期に入る前にたっぷりエサを食べて脂肪として蓄えておき、産卵期にはほとんどエサを取らず卵を産むことに専念するようです。基本的には不活発な状態で過ごしているわけですが、それでも時々深い所に潜って、冷たい水を経験します。しかし、体サイズが大きいおかげで、そのような短時間の水温変化には左右されずにすむのです。一方ペンギンは水中でできるだけ酸素消費を減らして、長く潜っていたいために、自ら代謝を下げています。そのため体温も低くなるというわけです。これはバイオロギングによる新発見です。
「そんなことも分かっていなかったの?」と思われるかもしれません。しかし、これまで水中でのウミガメやペンギンの体温変化を測った研究者など、誰もいなかったのです。科学は何でも分かっているように見えて、実際は忘れ物がたくさんあった。「まさか」と思うようなことが、ブラックボックスのままでした。
地味ですが、もしかすると「大発見」にめぐり会えるかもしれない。僕はそんな可能性をバイオロギングに感じて、どんどんのめり込んでいき、現在に至ります。
将来の保証はないが、
成功の暁には
知的興奮を得る
現在、バイオロギングが研究できる大学や機関が全国に増えています。そこには動物好きな若者たちが集まってきています。研究者の平均年齢は20〜30代と若く、他の分野に比べてフレッシュな人材がそろっています。
若いということは、固定観念にとらわれることなく、自由にアイデアを出せる点がいいですね。彼らの柔軟な発想は、とても刺激になります。
研究はフィールドワーク主体で、現場主義。研究室にこもっていても分からないことは、現場に出て確認します。データロガーのようなハイテク機器を使ってはいますが、現実はずぶ濡れになったり、泥だらけになったりして、動物たちと格闘する日々です。でも、それが楽しいんですね。
ただバイオロギング自体が、歴史の浅い分野で研究者の数も少なく、将来が保証されているわけではありません。おいしい話があるわけでもないし、正直、研究者として食えないかもしれない。それでも「バイオロギングをやりたい」という学生が、毎年私の研究室の門を叩くのは、本当にうれしいことです。
動物園が大好きで、動物図鑑が愛読書という子どもたちには、ぜひバイオロギングという言葉を覚えてもらいたいです。
東日本大震災を
乗り越え、三陸沿岸の
環境変化を探る
私が所属する東京大学大気海洋研究所では、岩手県大槌町にある研究センターで、2004年から毎年バイオロギングによるデータ収集を行っていました。対象は大型の魚、オオミズナギドリ、ウミガメです。しかし2011年3月11日の東日本大震災の津波によって、センターは壊滅状態となり、まだ再建のメドは立っていません。しかし何としてでも、研究を続行し、地震の前後で三陸沖の自然がどのように変化したかを明らかにしたいと思っています。
津波によって、多くの人工物が海に流され、海の生態系に大きな変化が起こったことが予想されますが、それが野生動物の生態にどのような影響を与えているのか。1000年に一度と言われる大災害にくじけることなく、その変化をしっかりと記録したい。他の分野も含め、多くの研究者が三陸沿岸に注目していますが、僕はバイオロギングというアプローチで、貢献したいと考えています。
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企画展「動物目線の行動学」2011年12月から2012年3月まで、東京・国立科学博物館にて、バイオロギングの企画展を開催。全国の若い研究者が工夫をこらした展示で、子どもたちにバイオロギングの魅力をアピールした。
バイオロギングの
発展と
余裕のある科学研究
データロガーが小型化されるにつれ、水棲動物以外にも活用されるようになりました。加速度計を追加した記録計を鳥に取り付ける研究も増えていて、巣から飛び立った後に、どのような行動を取っているかが少しずつ明らかになっています。将来的にどんどん小さくなれば、昆虫にも取り付けられるかもしれません。アイデア次第で、ユニークな研究が期待できます。
私自身も、陸上動物であるチーターを研究する機会に恵まれました。これはあるTV番組の撮影スタッフといっしょに南アフリカで行ったもので、「チーターは本当に時速100キロで走れるのか?」という疑問を解明しようというものでした。GPS記録計を用いて測定したところ、結果は時速60キロくらいで、100キロには遠く及びません。スタッフはがっかりしていましたが、私は逆に野生動物の効率性の良さに注目しました。過去には確かに記録されているので、本気になればチーターは時速100キロで獲物を追うこともできるのでしょうが、毎回その速度で走っていたら疲れ果ててしまいます。足をくじくなど、怪我をしてしまうかもしれません。動物だって楽をしたいはずで、それが60キロという速さなのでしょう。似たようなことが水棲動物が水中で泳ぐスピードの研究でも分かっています。クジラからペンギンまで、水面からエサのある深度まで潜って戻ってくる平均速度を調べると、これがみんな秒速2メートルなのです。これが一番エネルギー効率が良いのかもしれません。けっして毎日ギリギリで過ごしているわけではなく、余裕をもって生きているわけです。
余裕と言う意味では、僕たちのような研究が社会的に認知されることが、日本の文化レベルを上げることに貢献しているんじゃないかと密かに思っています。というのも日本における動物の研究は、まず実用第一であることが求められることが多い。畜産業や水産業の生産性を高める研究こそが大切で、一見何の役にも立たない研究に価値を認めてくれる人は少数派でした。しかしアメリカやヨーロッパには、ユニークな研究をしている先生がたくさんいて、それが、その国の科学レベルあるいは文化の奥深さにもつながっている。日本もそろそろ、その方向に目を向けてもいい頃ではないでしょうか。僕がウミガメで論文を書いた時は「それが何の役に立つのか」とも言われましたが、今では風向きも変わってきました。