杉浦康平のダイアグラム見えない世界の見取図

グラフィック・デザイナー杉浦康平は、
日本国内はもちろん、広くアジアのデザイナーたちに、
はかり知れない影響を与え続けてきました。
視覚表現をその根源から問い直すとともに、
印刷技術の秘められた可能性を
極限まで引き出すことにより、
1冊の本、1枚の紙、そして1篇のダイアグラムの上に、
これまで誰も体験したことがなかった世界が
提示されます。
そのグラフィック・コスモスには、
膨大な情報と緻密な方法に裏付けられた、
驚きと魅惑が満ちています

杉浦康平

グラフィック・デザイナー。神戸芸術工科大学名誉教授。1960年代より独自のヴィジュアル・コミュニケーション論、アジアの図像研究、知覚論、音楽論を展開。時間地図をはじめとしたダイアグラムによって、視覚表現の手法を根源から問い直すとともに、多くの雑誌・書籍のデザインを通じ、エディトリアル・デザインの多様な可能性を提示し続けている。

7つの月

杉浦康平は、近眼で乱視であるという身体的な特性によって、「視る」ことを強く意識するようになりました。たとえば近眼であるため、月が3つにも4つにも、ときには7つにも折り重なって見えるといいます。つまり、誰もが同じ世界を見ているわけではなく、普遍的であるとされる事象と個人体験による事象の間にはズレがあるのです。このズレを補正せず、そのまま受け入れることが、杉浦デザインの一つの出発点にもなりました。

振動する眼球

人間は視覚的な信号を手を使って再生する場合、通常は線で形を表現します。信号の再生のために、一種の輪郭検出をするわけです。ところが近眼の場合、もともと網膜の上にシャープな像が結ばれていないため、単純な線処理ができません。また近眼や乱視であるなしにかかわらず、実は、対象を凝視しているときには、眼球は振動を続けています。実験的に、その振動を止めると、網膜から像が消えてしまうことが確かめられています。だから輪郭、あるいは対象の形とされているものは、「ゆらぎ」や「ズレ」のような要素が切り捨てられているのかもしれません。「物の輪郭を簡単に引いてはいけない」「輪郭線は絶えまなくゆらいでいる」とは、杉浦デザインの前提でもあります。

こぼれ落ちるもの

デザインだけではなく分析や言葉による表現においても、「輪郭は簡単に引けない」ことが、重要なテーマになります。線で形を表現する際に、AとBを直線で結べるのは、AとBしかわかっていないからであり、測定器がその間を拾わなかったからそうしているにすぎません。分析や言語化でも、おそらく同様のことが起こっているはずです。AとBを結ぶ直線からこぼれ落ちてくるもの、あるいはこぼれ落ちてしまうことの自覚が、言語表現や分析、そしてデザインが次のステップに進むためには不可欠なのかもしれません。

形の予兆

杉浦デザインのもう一つの基本には、「形にならないものの中に、形を見いだす」ということがあります。形にならないものの中に隠されている「形の予兆」のようなものを見いだすのは、たやすいことではありません。経験や読みの深さが必要となります。経済変動のように数値化しやすい対象は、単純な座標軸で表現できます。しかし、うつろいゆく時間や感覚のような超空間的なものは、一筋縄ではいきません。まず超空間的なもののうちに軸を見つけること、それが見えない形を可視化するための第一歩になります。

味覚地図

味覚地図

料理評論家の玉村豊男による食体験の記述をもとに、日本、フランス、中国、インドの4種類の料理の図化が試みられた。食材の種類、調理法や量の違い、変化や酒を飲む回数がデータとして組み込まれている。日本料理は、小さな皿が次々に提供される「列島型」、中国料理は、複数の皿料理がほぼ同時に出され複雑な味の組み合わせで陶酔感を誘う「小集団型」、フランス料理は、メインにボリュームのある肉料理が聳えたつ「アルプス山脈型」、インド料理は、皿に盛られた複数のカレーとライスを混ぜ合わせ口に運ぶことにより、辛味が「ガンジス河の流れ」のように持続する。食事の満足度も図化されているが、中国やフランスの料理では食事がすすむにしたがって、「満足度の虹」が現れる。日本料理は簡素な精進料理風としたため、虹が出にくい。『週刊朝日百科 世界のたべもの』136号(朝日新聞社、1983)

犬地図

犬地図

杉浦が愛犬と散歩中に発想されたもの。まず、どのような道筋を犬が歩いたか、という場が設定され、異性の気配、食べ物の匂い、道の勾配、温度変化、風向、音など、犬が興味を持ちうるパラメータによる、環境の地図化が行われた。ただし最終的には、分析的であることよりも、犬の行動にもとづいて、直感的まとめられている。雑誌『遊』6号(工作舎、1973)

時間のヒエラルヒー

時間のヒエラルヒー

時間を主役とした地図。東京駅と大坂駅を出発点とする変形地図を上下に並べ、能登半島(金沢)発の図を加え、日本列島の形が激変することが示されている。位置関係が固定している空間も、時間軸上では伸縮する。鉄道で移動していた都市間にジェット機路線が開くと、その都市が急激に引き寄せられる。「時間地図」では、引き寄せられる都市もあれば、辺境や極地として取り残され、遠のいてしまう地点もある。東京・名古屋の中間に位置する富士山も、山頂への到達時間は地理的な距離を越えて、海上に飛び出してしまう。開発の格差が、時間を軸にした地図では極度に強調される。また、出発点を変えることでも、日本の形が極端に変形する。列島の地形図を基本とし、主要都市中心の時間地図を併置することで、「重層的に響き合う提示法」が試みられている。俯瞰型・統治型の国土管理地図が示す地形と、文化の振舞を映しだす時間地図の表現の差異が強調されるとともに、「多視点」的思考法による手法がここで確立した。以降、杉浦ダイアグラムは、このような重ねあわせが基本となり、「多にして一」「一にして多」という発想法で図化されるようになる。『百科年鑑1973』(平凡社)

柔らかい地図

自分をとりまく世界の姿を知りたい、見たいという欲求が、地図という図像を生みだします。一般的な地図は、客観性・普遍性を目指すものであり、地図と現地の関係は、辞書と言葉の対応関係のように、それが明快なほど精度は高くなります。直接眼には見えない地層なども、地質図を基にしてボーリングをすれば、温泉や石炭層の所在を確認することができます。それは誰もが疑わない「堅い世界」でもあります。新しい軸の導入は、その疑われずに堅いと思われていたものを、柔らかく捉えることでもあり、何らかの問題意識の表出ともなります。たとえば感覚や時間を軸にすると、それまで「堅く」「普遍的」であると思われていた世界が、まったく違ったものに見えてきます。

柔らかい地図

手と直感

杉浦デザインでは、何よりも「手」が重要な道具となります。インフォグラフィクス=情報デザインを成立させているのは、データです。データはあくまでもデジタルなものであり、人間の心のようなものが付着していてもそれは削ぎ落とし、数値で表現されます。だからこそ客観的で冷徹な図像が生まれくるわけですが、それは極論すれば、コンピュータでもつくりだせる形でもあります。手作業は、時間をかけて多くのステップを確認しながら進めなくてはなりません。その隙間にこそ、デジタル作業から漏れ出しているもの、対象が内部に隠しもつ未知の主題を見つけることができるわけです。ひらめきが生まれ、検証され、飛躍し、「直感」が誕生します。ときにはもどかしく思われる指先の探索作業から、「乱視的」なイメージが滲みだしてくるのです。

時間軸変形地球儀とそのステレオ作図

時間軸変形地球儀とそのステレオ作図

時間軸の概念が、平面ではなく、地球の球体へと置き換えられた、これまでに例をみない時間軸地球儀。交通手段の差異が速度の変化として読みこまれ、移動速度の発達に応じて地表の凸凹が生まれでる。凹んだところは小さな球面の上で、二点間の距離が短い。凸の部分は二点間の距離が長い。たとえばロンドンとニューヨーク間にジェット機が飛ぶと、二都市の距離が短縮され、表面積が小さくなる。空港のある都市は内部の一番小さい球面上に位置し、歩かなければ行けない地帯は、逆に大きな球面の上にひろがる。❶、❷図は3層の球面が交通の発達によって陥没していく様子を描くもの。西ヨーロッパの交通発達度の高さが読みとれる。❸図は8層の重なりによって表現された地球。下の青赤2色の重なりによるものは、変形地球儀の立体視のための試み。雑誌『遊』1号(工作舎、1971)/雑誌『グラフィックデザイン』No.32(講談社、1968)

動く天気図

動く天気図

時間軸の流れに乗せて気圧・気温など、気象要素の変化を連続させた「動く天気図」。左上から右に向って春・夏・秋の季節となる。東経140°線上(日本列島に重なる)の気象変化で、列の右側は「地上」の天気の年間推移。左側は上層約5kmの等圧面の刻々の高度変化を図化したもの。『百科年鑑1975』(平凡社)

【参考】………  雑誌『遊』創刊号(1971、工作舎)、雑誌『IDEA』324号(2007、誠文堂新光社)。また、杉浦康平のダイアグラムを集大成した書籍に『時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み:杉浦康平のダイアグラム・コレクション』(2014、鹿島出版会)がある。

このページは、杉浦康平氏への取材をもとに『abiroh』編集部がまとめました。図版、解説等の版権は杉浦康平氏に帰属します。