7つの月
杉浦康平は、近眼で乱視であるという身体的な特性によって、「視る」ことを強く意識するようになりました。たとえば近眼であるため、月が3つにも4つにも、ときには7つにも折り重なって見えるといいます。つまり、誰もが同じ世界を見ているわけではなく、普遍的であるとされる事象と個人体験による事象の間にはズレがあるのです。このズレを補正せず、そのまま受け入れることが、杉浦デザインの一つの出発点にもなりました。
振動する眼球
人間は視覚的な信号を手を使って再生する場合、通常は線で形を表現します。信号の再生のために、一種の輪郭検出をするわけです。ところが近眼の場合、もともと網膜の上にシャープな像が結ばれていないため、単純な線処理ができません。また近眼や乱視であるなしにかかわらず、実は、対象を凝視しているときには、眼球は振動を続けています。実験的に、その振動を止めると、網膜から像が消えてしまうことが確かめられています。だから輪郭、あるいは対象の形とされているものは、「ゆらぎ」や「ズレ」のような要素が切り捨てられているのかもしれません。「物の輪郭を簡単に引いてはいけない」「輪郭線は絶えまなくゆらいでいる」とは、杉浦デザインの前提でもあります。
こぼれ落ちるもの
デザインだけではなく分析や言葉による表現においても、「輪郭は簡単に引けない」ことが、重要なテーマになります。線で形を表現する際に、AとBを直線で結べるのは、AとBしかわかっていないからであり、測定器がその間を拾わなかったからそうしているにすぎません。分析や言語化でも、おそらく同様のことが起こっているはずです。AとBを結ぶ直線からこぼれ落ちてくるもの、あるいはこぼれ落ちてしまうことの自覚が、言語表現や分析、そしてデザインが次のステップに進むためには不可欠なのかもしれません。
形の予兆
杉浦デザインのもう一つの基本には、「形にならないものの中に、形を見いだす」ということがあります。形にならないものの中に隠されている「形の予兆」のようなものを見いだすのは、たやすいことではありません。経験や読みの深さが必要となります。経済変動のように数値化しやすい対象は、単純な座標軸で表現できます。しかし、うつろいゆく時間や感覚のような超空間的なものは、一筋縄ではいきません。まず超空間的なもののうちに軸を見つけること、それが見えない形を可視化するための第一歩になります。
味覚地図
犬地図
時間のヒエラルヒー
柔らかい地図
自分をとりまく世界の姿を知りたい、見たいという欲求が、地図という図像を生みだします。一般的な地図は、客観性・普遍性を目指すものであり、地図と現地の関係は、辞書と言葉の対応関係のように、それが明快なほど精度は高くなります。直接眼には見えない地層なども、地質図を基にしてボーリングをすれば、温泉や石炭層の所在を確認することができます。それは誰もが疑わない「堅い世界」でもあります。新しい軸の導入は、その疑われずに堅いと思われていたものを、柔らかく捉えることでもあり、何らかの問題意識の表出ともなります。たとえば感覚や時間を軸にすると、それまで「堅く」「普遍的」であると思われていた世界が、まったく違ったものに見えてきます。
手と直感
杉浦デザインでは、何よりも「手」が重要な道具となります。インフォグラフィクス=情報デザインを成立させているのは、データです。データはあくまでもデジタルなものであり、人間の心のようなものが付着していてもそれは削ぎ落とし、数値で表現されます。だからこそ客観的で冷徹な図像が生まれくるわけですが、それは極論すれば、コンピュータでもつくりだせる形でもあります。手作業は、時間をかけて多くのステップを確認しながら進めなくてはなりません。その隙間にこそ、デジタル作業から漏れ出しているもの、対象が内部に隠しもつ未知の主題を見つけることができるわけです。ひらめきが生まれ、検証され、飛躍し、「直感」が誕生します。ときにはもどかしく思われる指先の探索作業から、「乱視的」なイメージが滲みだしてくるのです。
時間軸変形地球儀とそのステレオ作図
動く天気図
このページは、杉浦康平氏への取材をもとに『abiroh』編集部がまとめました。図版、解説等の版権は杉浦康平氏に帰属します。【参考】……… 雑誌『遊』創刊号(1971、工作舎)、雑誌『IDEA』324号(2007、誠文堂新光社)。また、杉浦康平のダイアグラムを集大成した書籍に『時間のヒダ、空間のシワ…[時間地図]の試み:杉浦康平のダイアグラム・コレクション』(2014、鹿島出版会)がある。