この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。
堀場製作所
近年、アナログレコードの生産枚数が復活してきているのを御存知でしょうか。海外のアーティストが新作アルバムをレコードでも発売したり、レコードプレーヤーの新製品が発売されたり、日本の大手レコード会社がレコードの生産設備を復活させたり、「過去のメディア」と思われていたレコードの復権が確かなものになっているようです。
その担い手となっているのは、CDの音で育ち、スマホで音楽配信サービスを利用している若い世代です。クリックひとつで、いつでもどこでも何万曲も自由に聴ける時代に、新しいファンはレコードのどこに魅力を感じているのでしょう。
株式会社デジタルストリームで「DS Audio」ブランドをプロデュースする青柳哲秋さんも、CD世代ながらレコードの魅力に魅せられたひとり。オーディオ好きの知人の家で、初めて聴いたレコード体験に衝撃を受けたそうです。
「マイケル・ジャクソンの『スリラー』に鳥肌が立ちました」
今まで経験したことのないレコードの音に魅了された青柳さんは、その知人のオーディオシステムに「光カートリッジ」という装置が使われていることを知ります。光カートリッジはレコード針の動きを光を使って捉えるので、磁気を使う一般的なMM/MC型カートリッジよりも高音質で再生できる仕組みです。今から約40年前に日本のオーディオメーカー数社から発売されていましたが、当時は技術的制限から製造が難しく、いつしか市場から消えていった「伝説の銘機」でした。
デジタルストリーム社は光学技術専門の開発会社で、青柳さんは自社の光学技術で光カートリッジの開発に着手します。最新の光学技術で製造面の課題を乗り越え、現代に甦った光カートリッジは、日本だけでなく海外でも高い評価を得ることに成功します。
「日本ではかつて発売されていた光カートリッジを覚えていたオーディオファンの方に興味を持ってもらえましたし、ドイツでは専門誌のレビューで歴代最高評価をいただきました」
レコード復権と時を同じくして、時代を越えて光カートリッジが復活したことも運命的なものを感じます。
「音楽のデジタル化の流れは、気軽さを追求して発展してきたと言えます。でも音楽を測る物差しは気軽さだけじゃないはず。アナログレコードの人気が復活してきたのは、デジタル化へのアンチテーゼ。気軽さとは違う物差しを持つ音楽ファンがレコードを選んでいるのでしょう」
青柳さんはレコード復権の動きをこう分析します。
「今はいつでもどこでも聴ける代わりに、音楽がBGMになってしまっています。またデジタルなら聴きたくない曲を自由にスキップできますが、レコードは一曲一曲に向き合わざるをえません。不便ですが一枚のレコードに真剣に耳を傾けることになるので、アーティストがアルバム制作に込めたおもいを自然と受け止めることになります」
現在ではCDの音質を越えるハイレゾという規格も登場したが、ハイエンドのオーディオファンは分解能に優れるハイレゾよりも、レコードの方が良い音と評価するそうです。
「音楽の良さはスペックだけでは測れないのです。周波数特性がフラットな方がクリアで良い音とされていますが、少し波形が乱れている方が良いというファンもいます」
もちろん製品づくりの中で、ある程度までは乗り越えないといけない数値やスペックはあるとした上で、それ以上を作り込む時に「唯一絶対の正解は無い」と青柳さんは考えています。
「そこから先は聴く人の好みになってしまいます。DS Audioの場合は、最終的には僕の判断で決めています。この音ではダメだと言う人は、よその製品を買ってくださいと言うしかないです。そこは割り切るしかないけど、逆にそこが面白いと感じます」
聴く人が100人いたら、100人とも理想とする音は違ってきます。「100人に好きな女の子のタイプは? と質問するようなもので、唯一の答えはそもそも無い」と青柳さんは言います。
オーディオメーカーのそれぞれに自社が考える正解があり、ファンは自分の好みに応じて製品を選べるということが、豊かな音楽文化なのかもしれません。
レコードの復権はデジタルの市場をアナログが奪い返すものではなく、ともに市場を伸ばしていくことが大事だと青柳さんは言う。
「かつてのレコード全盛時代よりも、デジタル化によって、音楽を日常的に楽しむ人々は確実に増えています。今さらデジタルとアナログで優位性を競っても仕方がありません。デジタルしか知らず、ヘッドフォンでしか音楽を聴いたことない若い人には、ぜひスピーカーから流れるアナログレコードの魅力を知ってほしいと思います。音楽を楽しむ選択肢として、ストリーミング配信もあればアナログもある。普段はスマホでデジタル、でもじっくり音楽を聴きたい時はレコードを選ぶ。そういう形になればいい」
音楽以外のジャンルに目を向ければ、デジタルとアナログの共存は普通に成り立っていると、青柳さんは言う。
「普段は友人とインターネット上のSNSでやり取りしていても、たまには直接会って話をしますよね。わざわざチケットを買って、ライブ会場に足を運ぶファンは、アーティストに会いたいとか、生の声を聞きたいとか、アナログ的な何かを求めているからでしょう」
デジタルだけの結びつきは容易につながる反面、簡単に離れてしまうこともあります。アナログな結びつきは、一度確かな関係を築くことができれば、容易に離れてしまうことはありません。
「僕も購入してくれたお客様全員に会いに行きたいと思っていますが、それはできません。せめてもの感謝の証に手書きのメッセージカードを添えて納品しています」
どんなにデジタル化が発展しようとも、人間自身はアナログのままなのです。