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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

気配〜言葉はいらない?

言葉と道具と火の「発明」によって、人類文化はスタートしました。やがて文字が誕生すると、文化の発展に拍車がかかり、文字に記されたものごとが大きな力を持つようになります。歴史も法律も文字の力とともにあります。現代では、インターネットを介して、これまでに人類が経験したことのないほどの大量の文字情報に、誰もがアクセスし、利用することが可能になりました。ビッグデータの時代です。しかし、あまりに膨大な情報は結局のところ、地図のない荒野のようなもの。かつて確実だと思われていた「言葉」がどんどん信頼性を失っています。信頼性のない言葉は、もはやコミュニケーションの道具として役に立たくなりつつあるのです。

●「以心伝心」や「阿吽の呼吸」、あるいは「当意即妙」という表現があるように、かつての人びとは、言葉以外の方法によるコミュニケーションを大切にしていました。もしかすると、言葉を使うようになる前は、人間も「超能力」のような力さえ持っていたのかもしれません。気配を感じる力は、それこそ生存にかかわる能力だったと思われます。

●機械を介してのコミュニケーションにより、その効率と正確さは格段に上昇しました。ただしそこからは、相手の表情や振る舞い、声の調子は読みとれません。読みとれないから、読みとる力が失われていきます。またヘッドフォンステレオのように、メディアが周囲の雑音を遮断するようになると、はじめから場所の雰囲気や他者の気配が無視されるようになります。

●オフィスでも、メールでのコミュニケーションが中心となり、電話の音や会話が失われ、誰がどことどんな状態で仕事をしているのかさえ、見えなくなってしまいました。言葉や数字にならない「情報」にこそ、コトの本質が隠されています。必要なのは、雰囲気や気配を伝えるメディアではなく、ときには一切のメディアを手放してみることなのかもしれません。

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