表皮の多彩な機能
皮膚のいちばん外層は、常に入れ替わって角層、垢になります。ケラチノサイトという表皮細胞が作る角層は、水を通さないバリアであり、一般のイメージでも、皮膚の役割は体液が漏れ出さないようにするというものでしょう。このケラチノサイトを研究しているうちに、温度や圧力をはじめ色、光、そして音までも、表皮が感じているらしいことがわかってきました。神経は表皮の途中まで来ていますが、それ自体はあまりものを感じていないのかも知れません。まず表皮のケラチノサイトが感じて、信号を神経に伝えている可能性があります。
脳の中には、興奮と抑制を誘導するさまざまな受容体があります。利根川進さんは、NMDA受容体が海馬において記憶や学習に重要な役割を果たしていることを発見されましたが、これがなぜか表皮にもある。また、脳はからだ全体を統合するために様々なホルモンなどを出しています。表皮は、これらのホルモンなどもつくっています。つまり、表皮には受容体、センサとしての役割があるとともに、全身に向けてシグナルを発しているわけです。人の高次構造、社会構造などに影響を及ぼすオキシトシンも表皮にあります。そういう情動や全身の状態に作用するような物質を表皮が出している。しかも、いまのところ何をしているのかはわかっていないのですが、脳において高次の学習機能などに寄与しているデヴァイスまであります。
相互作用する感覚
視覚情報や聴覚情報は言語化できるため、それについて語ったりすることが比較的容易ですが、触覚情報や嗅覚情報は、メタファーやアナロジーによらないと説明しにくい。ただ嗅覚については、最近では受容システムもある程度わかってきています。皮膚感覚は50年前の教科書をまだ使っているという状況で、痛点とか圧点とかいっても、それらと神経末端との関連さえまだわかっていません。
皮膚感覚はまた、言語をはじめ他の情報の影響を受けやすい。たとえば誰かに触られたとき、その摩擦係数や温度や圧力が同じであっても、誰に触られたかによって心の動きはまったく異なります。逆に、皮膚感覚が他の感覚に作用するということもわかってきました。たとえば聴覚に皮膚感覚が関与している例があります。「ブッ」という音と「プッ」という音を聴かせ、同時に手首などに音圧を吹き付ける実験では、「ブッ」という音を聞かせながら手首に「プッ」という音の空気を打ち込むと、「ブッ」ではなく「プッ」と認識するといいます。
芸能山城組の山城祥二さんとしても知られる大橋力さんによれば、皮膚は耳に聴こえない2万ヘルツ以上の高波長領域の音を感じているといいます。バリ島のガムランでは、高波長領域の音をからだに浴びせることで、人びとがトランス状態になる。からだを覆ってしまうと、耳をあけていてもそういう変化は起きないそうです。高波長領域がカットされたCDと高波長領域まで入ったブルーレイディスクで、山城組の『AKIRA』を聴き比べてみると、ブルーレイでは爆発音がすると瞬間的に身を引いてしまう。実際に何かが爆発したときに反射的に身を引くというのも、音だけではなく、空気振動を皮膚が感じているのかもしれません。
殺気や気配も、何かが後ろから飛んできたり、後ろで刀を振りかぶられたりしたときに、高周波が生じているということなのかもしれません。電磁波も気配の有力候補です。少し動くだけで電場の変化が起きて、2メートルくらい先まで届きます。ただし、われわれに受信する機能があるかどうかは、また別の話です。気配ということでは、匂いにも可能性があります。アルファ波が出る香料や、逆に覚醒するような香料がある。リラックスするのが薔薇系で、高揚させるのがジャスミン系ですが、それらの抽出物質を嗅いでも、匂いとして特別な傾向は感じません。それでも情動に作用する。ある疾患の人が、独特の匂いを発しているという話もありますから、殺意を抱いている人がある種の匂いを出している可能性もあります。そんな目に見えない、耳に聴こえないファクターを、嗅覚や皮膚感覚の中で探していけば、殺気や気配をある程度解明できるかもしれません。
ペンだこと経路
表皮には記憶も学習もあります。皮膚の角層のバリアを剥がすと自動的に治癒しますが、サランラップで覆うと治らない。水蒸気を通すゴアテックスのようなものだと治癒します。表皮は、蒸散する水分量をモニターしながら状態を保っている。そういう意味では、正常な状態の記憶があるといえます。
ペンだこのような「胼胝(たこ)」も不思議です。1回こすっただけでは胼胝にはなりませんが、何十回何百回こすると角層が分厚くなる。積分的な情報を判断しているわけです。何回こすられたかということを記憶していないと、そのような変化は起きません。
胼胝も、環境に応じて丈夫になるということで、学習によるものといえるかもしれません。また乾燥環境下に皮膚をさらすと、最初のうちは皮膚が少し敏感になる。つまり炎症を起こしやすくなったりする。ところがそのうちに角層が厚くなり、乾燥に対する耐性も強くなります。環境からの入力に対して、自身の形を変えるというのも、一種の学習機能でしょう。
新生児から幼児までの皮膚は、とくに学習する皮膚です。アフォーダンスを獲得するために、ものにさわったりなめたりして、それを目で見て、世界というものの形を認識している。コミュニケーションや社会性の学習にも、皮膚は深くかかわっている。動物実験では、親との皮膚接触を断って新生児をミルクだけで育てると、後生的に脳の構造に遺伝子的な変化が出てきます。
哺乳類では、類人猿だけ顔面に毛がありません。しかも顔の皮膚は、他の部分に比べていちばん弱く、常時肌荒れを起こしているような状態です。皮膚感覚を敏感にする方向で、進化が起きたのではないでしょうか。ヒトはさらにほとんどの体表面から毛を失っています。しかも服も常時着ているわけではなく、自分でその環境を選んでいる。そんな選択肢を増やしたというところにも、何か意味があるのかもしれません。
東洋医学における経穴や経絡といったものが存在するのは、全日本鍼灸学会の前会長である矢野忠さんの実験でも確認されています。ある経絡に沿って、一定の臓器に同じ影響を及ぼすツボが並んでいますが、たとえば胆嚢が収縮する経絡があるとします。超音波によって胆嚢を観察しながら針を打つと、入力点の連なりが存在することがわかります。ただしそこには解剖学的には何もありません。表皮と神経や血管などとのインタラクションで、情報の見えない流れのパターンのようなものが形成されるのではないかと思います。
自我の境界
自我というものにも、皮膚感覚が大きくかかわっている。鎌田東二さんが滝に打たれる経験をしたあとに、身体と自我がずれたという話を書いています。思考のようなものは脳だけではなくて、全身とのインタラクションによって生まれる。何をもって自我と呼ぶかは難しいところですが、感覚的自己というものには当然、皮膚が非常に重要な役割を果たしています。ふだんは意識に上りませんが、特別な環境下では、皮膚に対する異常な情報の入力によって自我がずれたりもするわけです。皮膚はまた、免疫学的な自己とも切り離せません。皮膚は、移植できない臓器の筆頭であり、表皮には他者と自己を免疫学的に峻別するランゲンルハンス細胞も多く含まれています。