◉ 人間にとっていちばんの不思議は、ほかならぬ人間なのかもしれません。言い換えるなら、人間の不思議は人間にとって何より「切実な不思議」ということなのでしょう。他人はもとより、身近な人びとの趣向や行動も、ときおり不可解に思えるばかりか、当の自分自身についてさえ、なかなか理解が届かぬものです。そもそも、何ごとに対しても「理解」したがるのも、人間の不可解なところ。理解しようとするから、不思議も生まれます。
◉ それもこれも原因は、無闇に大きくなった脳に求めることができるかもしれません。哺乳類としての人間の大きな特徴は、まず直立二足歩行をすること。なぜそんなことをはじめたかについては、祖先が森林から草原へと進出した、あるいは一時的に海中で生活をした、などの仮説が提起されてきました。そして自在になった両手で道具を使うようになり、脳の発達がうながされたのだともいわれます。しかし脳の肥大化については、大きい方がよりスムーズに歩く(走る)ことができたからだとする、ロコモーション仮説が提案されています。すなわち脳が大きく頭部が重くなって、バランスが不安定になったゆえに、よりスピーディかつスムーズに前へ進むことが可能になったというものです。もしこの仮説が正しいのなら、人間の大脳は重りとして発達し、そのあとで「考え」はじめたことになります。
◉ だから、というわけでもないのでしょうが、人間の脳は生物としての生存のためには一見すると無駄なものばかりを生み出してきたようにも見えてきます。脳科学者ポール・マクリーンによれば、人間の脳のもっとも大きな特徴は、泣き、笑い、遊ぶ働きをもっていることだといいます。とりわけ笑いは、人間特有の行動です。チンパンジーにも笑いに類似した行動はありますが、あからさまに笑うのは人間だけ。しかも人が笑うのは、楽しかったり、嬉しかったりするときだけではありません。軽蔑したり、怒ったり、悲しかったりするときにさえ笑うことがあります。人間は、嬉しくなくても笑える動物であるといえるかもしれません。もっとも医学的には、笑いにも効用があります。よく知られているのは免疫力のアップ。糖尿病の治療にも有効だとする研究も報告されています。
◉ 人間はなぜ眠るのか……仕事人間を自任する人ならば一度は考えたことのあるはずの疑問です。睡眠とは何とも無駄な時間の使い方ではないでしょうか。それに寝ている間は無防備です。眠るのは人間だけではありませんが、まったく眠らない動物もいます。睡眠学者のアラン・レヒトシャッフェンは「もし睡眠が生きるうえで絶対に必要な働きに貢献していないとすれば、それは進化の過程が犯した最大のあやまちである」とさえいっています。眠る理由として普通にあげられるのは、「疲れるから」というもの。しかし睡眠中に人体組織の疲労回復が起こっているという証拠は、いまのところありません。
◉ もしかすると私たちは、夢を見るために眠っているのかもしれません。ならば今度は「なぜ夢を見るのか」という疑問が浮上します。夢は、脳に入力され記憶された情報の処理プロセスにかかわっているというのが、多くの科学者の間で一致した見解ですが、その具体的な証拠もまた、発見されないままにあります。もちろん「予知夢」や「夢枕」のような不思議な夢の数々を解明することなど、まさに夢のまた夢。主観的には、夢と現(うつつ)を区別する方法さえないのですから。
◉ 誰もが経験することでありながら、それがどのようなものなのかは誰も知らないもの、しかも普段は誰もそれについて考えようとさえしないもの、それが「死」です。なぜ人間は(生物は)死を迎えなければならないのかという問いは、それこそ意識の誕生とともに発せられたはずです。そして死を克服しようとして、数かぎりない不老不死の方法が試されてきました。しかし不老不死どころか、人間の寿命の上限(約120歳)を延ばす試みも、ひとつも成功したためしはありません。
◉ 実は「老化」の原因もはっきりとはしていないのが、現状です。遺伝的に老化がプログラムされているとする説や、呼吸によって体内にとり込まれた酸素が老化の主因であるとする説などがありますが、それなら生きることそれ自体が、老化することになってしまいます。かつては際限なく分裂することで永遠の生命を持つと考えられていた単細胞生物も、たとえばゾウリムシでは350回程度分裂すると死を免れないことが確かめられています。
◉ 人間などの多細胞生物でも細胞レベルでは、染色体末端の「テロメア」が短くなると分裂を止め、このテロメアを伸張する酵素が働く場合、細胞が不死化するといわれています。その死なない細胞の代表が、がん細胞です。いずれにしても生は死とうらはらの関係にあるようです。もしも人間が不老不死を実現したなら、人口は急増し、食糧危機とストレスで種としての死を迎えることになるのでしょう。もしかすると、それが不死の生物が存在しないことの、最大の理由なのかもしれません。